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<title>武士道 (岩波文庫)</title>
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<description>新渡戸は武士道の構成要素として、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義などの諸要素を挙げ、これらの対応物が西洋的エートス（特にキリスト教倫理）の中に存在していることを比較論証し、「武士道」の普遍性を立証しよ...</description>
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新渡戸は武士道の構成要素として、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義などの諸要素を挙げ、これらの対応物が西洋的エートス（特にキリスト教倫理）の中に存在していることを比較論証し、「武士道」の普遍性を立証しようとしている。この辺の叙述は、歴史的な故事や名言が随所に引かれており、今日読んでも分かりやすく興趣に富む。（この点に関連して、武士道がわが国におけるキリスト教伝道のいわば「受容体」として作用するとの期待を彼が抱いていたことは明らかであるように思われる（156頁）。）

しかしながら、率直に云うと個人的には、では「武士道」とは何かという問いに対して彼が十全な回答を提示できているかというと、（残念ながら）そうは思えない。極論だが、彼は個々の構成要素をポンと読者の前に投げ出すのみで、例えば九鬼周造が『「いき」の構造』で示し得たような明晰な形では、その論理的な連関（モデル）を示し切れないでいる。「武士道は何らまとまりたる教義もしくは公式の固守すべきものなき」（165頁）。

なお、新渡戸も西郷南州の言葉「人を相手にせず、天を相手にせよ」との言葉を引いているが（81頁）、これは『九鬼周造随筆集』（岩波文庫）にある九鬼の言葉「私は西郷南洲の「人を相手にせず天を相手にせよ」という言葉が好きである」（61頁）とも期せずして呼応しており、興味深かった。
 桜の花は日本を象徴する花である。そして武士道も、その桜の花と同様に
 日本の地に独自に咲いた花である。

 よく外国の人に、宗教はと尋ねられ“無宗教です”と答えると
 “アンビリバボー！”言われるそうだが、
 そういう時は“チェリーブロッサム！”と答えようかと思う。
 それでも相手は“それは何？”と言うだろうから
 “チェリーブロッサム＝騎士道”と答えようかと思う。

 教義とか信条とか宗教によるものを持たない日本人の道徳感、倫理観は
 何百年も武士に育まれたものであり、消え去るものではない。

 アメリカ流の勝ち組、負け組の中にどっこい生きてる大和魂
 現在の偏りをなんか変だと思っている方が今一度読んでみてもいい本です。

 
新渡戸稲造の武士道は英文で書かれたものですが、この本では、左側に須知徳平の日本語訳、右側に原文が見開きになっており、比較が容易です。英語は文語が使われているため辞書なしでは読めません。日本語訳は著者が出典を触れていないものも訳注を加えた上で、和歌なら日本語の原文をそのまま載せるなどしており、丁寧訳です。著者は、武士道は深遠な哲学に欠ける（よりどころとなる経典がない）と繰り返し述べられていますが、孟子・孔子・大学・中庸からの引用がもっとも多く、義・礼の思想をはじめとして、儒教の高い基盤があっての武士道であることがわかります。シェイクスピア、ギリシャ神話、聖書、エマーソン、ニーチェらと対照して、武士道がこれらのいずれにも劣らないレベルにあることが随所に書かれています（キリスト教徒の武士道と一部で言われているのはあたらないと思われます）。しかし、単なる儒教思想の拝借ではなく、それを超えた人の誇りが書かれており、特に、以下の金言は現代人に生きる勇気を与えてくれるものである。“真の武士にとっては、死に急ぎをしたり、死におもねたりすることは、卑怯なことだとされていた”“生が死より恐ろしい場合に、あえて生きることこそ、真の勇気である”“ひとたび心の中で死んだ者には、真田の槍も、為朝の矢も通らないものである。” 望むらくは、詳細な注解が欲しいところです。たとえば、孟子を例にとれば、孟子のどの部分からの引用であるかが書かれておらず、孟子の一章の中の一文だけを引用して読者に理解を求めており、孟子を読んだことのない読者にとっては、完全な理解は難しいと思われます。正直、矢内原氏の翻訳は難しくて
きれいな日本語ではありません。

よって、少しわかりづらい内容に
なっていると思います。

ただし、この時代にこのような思考を持った
日本人がいたことは、世界に誇れることだと
思います。ただの５千円札のオジサンではありません。 これを読むと、日本人の根底にある倫理観とか常識とか道徳観は武士道によっていることがわかる。半ば強引な論理というかルールが日本人の間ではある。例えば、主人が死んだら自分も死ぬとか、そういう感覚。
 それって別に論理的な理由があるわけではなくて、そういうものとして認知されている。この根底が武士道にある、と。何となくこういうルールが日本人を優秀にしていると思った。
 ただ、極端な人間が出てきにくくしているのもやっぱり武士道なんだろうな、という気もする。何事も中庸を推奨するようなところがあるから。
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<title>日本の思想 (岩波新書)</title>
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<description>本書は、丸山真男の数少ない入門書と呼ばれています。

丸山真男は、日本の思想を特徴づけるものは、その「精神的雑居性」にあると喝破しました。これは、日本が八百万（やおよろず）の神の国であった事とも関連...</description>
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本書は、丸山真男の数少ない入門書と呼ばれています。

丸山真男は、日本の思想を特徴づけるものは、その「精神的雑居性」にあると喝破しました。これは、日本が八百万（やおよろず）の神の国であった事とも関連しているのかもしれません。この精神的雑居性を示しているものの一つとして、神道があります。ご存じのように、神道は戦時は国体イデオロギーと同居し、それ以前は仏教と長い間同居し、独特の形を作り続けてきました。神道そのものの思想の形、というのはないわけです。 

日本において、多くの思想が輸入されてきましたが、それらは、すんなりと受け入れられてきました。もともとあった思想は、決してこれらと対決をすることがなく、それゆえに、自らの精神的伝統について省察するようなこともありませんでした。この対決の不在は、日本の思想史における座標軸の不在をもたらしています。一方、ヨーロッパでは、これら思想はキリスト教的信仰の強固なバックグラウンドの上に成立しています。


精神的雑居性が日本の思想の伝統であった事は、日本の特殊な事情を生ぜしめていると、丸山は主張します。


１．変容された形での思想の受容
日本では、外来の思想は、精神的雑居性という全体としての思想構造を壊さないように、変容された形で輸入されました。
その一つが、民主主義という思想。民主主義というものは、元々は、行動をその中心とする思想です。すなわち、民主主義国家であるということよりも、民主主義を行うための不断の努力こそが民主主義の特色なのです。しかし、丸山は、日本においてこれはまるで倒錯された形で受容されていると指摘しています。 

丸山は、物事を行うことと、ある立場にあることを峻別すること、そして、日本における「すること」と「であること」の倒錯を反転させる必要性を説きます。政治においては、「政治家であること」が重要なのではなく、「政治をすること」がより重要で、その行為の果実によって政治は評価されるべきだと丸山は主張します。

確かに、「であること」と「すること」はまったく別のものなのですよね。学者だから、弁護士だから、もしくは警察だから正しい、というのは、両者を峻別できていない証拠なのだと思います。自分が、何らかの地位にあることに甘んじずに、行いをしてこそ、物事は価値を持つのだと思います。



２．諸学問の間の断絶と学際精神の欠如
それぞれの思想が一つの土台の上にのって対決をすることを通じて積み重なることがないため、学問の諸分野は、それぞれが同文脈上にあり関連性を持っていることを忘れられています。このことは、学問分野の根っこを持たない分離を生み出し、数多くのジャーゴンや学際的研究の少なさの要因となっています。 

この「対決の欠如を理由とした断絶」は、別に学問に限ったものでもなく、年代の間でも、趣味の分野でも数々の例を見ることができます。また、思想的対決の伝統がないためか、日本においては、時折生じるこれら対決が、まるで喧嘩を初めする子供の喧嘩の様な感を与えています。 


３．あいまいな精神的雑居性に基づいた、あいまいな行為連関
丸山真男は、その例として神輿担ぎを挙げています。神輿は確かにあり、それは前面に押し出されているのだけれど、神輿を実際に誰がどのように担いでいるのかは、非常にあいまいな形になる。 
この曖昧な行為連関は、時として、深刻な無責任への転化をもたらしうるものです。これを読んだ時に感じたのは、日本におけるインターネット掲示板の在り方。丸山真男がいまも生きていたら、このロジックを、２ちゃんねるの言論環境について指摘する時に用いるのではないでしょうか。 

日本の戦前と戦後の思想状況の断絶も、この精神的雑居性が一因となっているのかもしれません。思想の姿かたちは、戦前戦後で大きく変わっていますが、曖昧模糊さにおいて本質的に変質はしていない感を個人的には受けました。戦前から変わらず残っているのは、官僚機構だけではないのかもしれません。 


うーん、面白かった。



（ちょっと違う文脈で出てきた言葉ですが、「現実と規範との緊張関係の意味」というのはいい言葉だなと思いました。）他のレビューで既に内容に関しては様々なことが指摘されているので、私は内容に関しては触れない。
私がこの本を始めて読んだのは大学一年のときである。それから既に３年が経ったが、当時はかなり難しく感じられ、内容の半分も理解できなかった（特に１章と２章）。
しかし、繰り返し読むうちに段々と理解できるようになっていき、それと同時に、本書で論じられていることが、まるで自分のことのように感じられてきた。
本書は私にとって自分を写す鏡だった。
本書の内容が今でも一般的に妥当だとか、本書が半世紀も前に出版されたにもかかわらず現在いまだそこで論じられる問題が解決されないからといって本書は何の役にも立たなかったとか、色々評価は分かれるだろう。
ただ私は、これだけはいいたい。
本書で論じられていること鵜呑みにするわけでもなく、かといって本書と著者の丸山氏を批判するのでもなく、一度本書の内容を糧として自分を省みて欲しい。
丸山は読書のすすめとして、「古典を繰り返し精読すること」をあげたことがある。
古典は、それが書かれた時代と大きく異なった現代においては内容的に妥当しない点も多々あるが、それでも自分の力で考える大きな糧になるのだという。
「読書は他人に考えてもらうことであるから、読書は馬鹿になることだ」という考え方もある。しかし、書物の内容を糧として自分で考えてみようという姿勢で本を読むことは、決して馬鹿になることではないだろう。
そしてそれこそが本当の読書であるように思う。既に多くのレビューが書かれているので、ここでは２点だけ雑感めいたことを。

１点目は、昔の新書は難しかったのだなぁということ。最近の新書はすっかり雑誌化していて、平易な反面で内容の薄いものが大半だが、本書、特に第１章と第２章は、その抽象度の高さと論理展開の複雑さという点で、手加減無しに難解である。一読了解できる人がいるとすれば、相当頭のいい人に違いない（私には到底ムリ）。１９６１年の初版以来、８０刷を超えるロングセラーとなった本書だが、読者のうち少なくない部分は、実は第３章と第４章の講演部分しか理解していないのではないかという疑いを抱かずにはいられない。

２点目は、丸山真男の釣り師性ということ。「あとがき」に書いてあるが、本書第１章の一部記述は、当時の文学者の神経をひどく刺激したらしい。というのも、（おそらくは東大を念頭に置いて）文学部出身者の法学部出身者（典型的には官僚）への劣等感が、日本文学の「抽象的・概念的なものへの生理的嫌悪」を生んでいると論じたからである。本書に限らず、丸山の著書には他人のコンプレックスを逆撫でするような記述が最低一箇所は含まれている。洞察力鋭敏な丸山が気付かずやっているとは到底思えないので、きっとわざとなのだろう。いや、間違いなくわざとだと思う。難しいと仰る方も多いですが、、、。

難しいという言葉には（１）内容が高度、（２）表現が下手、
など、多くの意味があると思いますが、「日本の思想」は少なくとも
（２）の意味で、すなわち表現が下手という意味で難しくは無いと思います。
むしろ、非常にクリアな、清明な読み易い文章だと思う。

確かに、立ち読みだけで読めてしまいそうな最近の多くの新書よりは
骨があり、表現も少々古く、易しくはありませんが（最初の部分）、
何度か反芻しながら丁寧に読んで行けば難しくはありません。

丁寧に読まないと読めないと言う意味では読書の練習にもってこいと思う。
過去幾度も入試問題に使われたのもける。養老孟司氏の『無思想の発見』に引用があったので手にとってみた。

外国人の日本研究者から「日本のインテレクチュアル・ヒストリィ」を通観した書物はないか、とよく聞かれるが、そういうものがないのはなぜか、という問題意識が出発点である。また社会科学者と文学者では議論が全くかみ合わない。これは日本には異分野の専門家たちが議論するための共通の思想、共通の言葉がないからで、そんな状況になってしまったのはなぜだろう、というのも大きな問題意識のひとつである。

ともかく大変に難しい本で、とくに前半は何が書いてあるのかほとんどわからない。後悔しながらそれでも最後まで読んだが、なんとなくわかったのは、以下。

 １）現代日本に思想や思想史がないのはなぜか。
 ２）明治維新の際、西洋の学問が急激に流入したが、それらをしっかり吸収できるだけの強い伝統的宗教がなかった。
 ３）ために、新思想は日本の伝統的思想と一体化することなく、ただ無秩序に積みあがっただけだった。
 ４）それでも戦前は天皇制が国民共通の思想のベースとなりえたが、戦後はそれもなくなった。
 ５）かくして日本には国民共通の思想がなく、したがって共通の言葉もなく、それぞれが蛸壺のような狭い専門分野の中で生きているため、共通の思想がない。

というようなことだと思う。
本書の初版は1961年だから、半世紀近く前の本だ。
この50年、本書の言説はいったい世の中のどういう役にたったのだろう、とふと思った。
晦渋な表現を好んで操るのは、インテリがインテリであること自体に自己の存在価値を見出しているからであろう。
思想が一部のインテリたちのものである限り、いつまでたっても日本のインテリたちは日本にキリスト教のような普遍的な思想を根付かせることはできない。勢古浩爾氏のいう『思想なんかいらない生活』というのがわかった気がした。
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<title>武士道 (PHP文庫)</title>
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昨日は”武士道”を読了した。欧州にはキリスト教、中国インドには仏教、中近東にはイスラム教があるが、日本はほぼ無信教であり精神の拠り所とするものが無いと思っていた。本書によるとそれに相当するものが武士道、神道ではないかとのことである。義、勇、仁、礼、誠、忠義等他人を思いやる言葉ばかりである。日本人の和を尊ぶ、共同体的社会の良さのルーツだと思う。改めて日本人のよさは武士道にあるのではないかと考えさせられた。日本は鎌倉時代から江戸時代の大変長期にわたり、一時期を除いて武家が支配する国であった。そして、武士道はその根幹を支えた思想である。ところが、武士道というのは、それそのものが聖書のような経典によって書かれて受け継がれてきたものではない。孔子の教えなども武士道の一部であって、すべてではない。しかも、当時の人たちはもうこの世にはいない。よって、武士道を知らない人がそれを知ろうとすれば、一般的には、「忠臣蔵」などの物語や史実をたどることによって断片的に理解を重ねてゆくか、あとは本書を読むのが手っ取り早い方法ということになる。

本書は、下級武士の家に生まれて海外で活躍した新渡戸が、日本についてあまり知識のない外国人向けに武士道について説明するために元々書いた本である。そのため、皮肉なことに昔の日本のことをよく知らない現代に生きる日本人向けのガイドとしても適した一冊となった。よって、難しそうな本だとしり込みする必要はない。訳も、今を生きる日本人向けにやさしく書いてある。

思想として共感する/しないは個人の問題だが、せっかく長い歴史を持つこの国に生まれたのだから、この国を長期にわたって支えていた思想について説明した本書を人生のどこかで読んでおくことは、無意味なことだとはいえないだろう。少なくとも、教養としては知っておいてもよいことだ。

本書を読む点で少し注意が必要だと思うのは、武士道が尊重されてきた背景にある実利的な部分については、十分説明されているとは思われない点である。武士道は精神的なものではあるが、それが維持されてきた背景には、武士道精神を守って忠義を尽くすことで、所領身分が安堵され、しかも自分の子供や孫にもそれを受け継ぐことができたという、武士たちにとって欠かせない実際上有利な点があったのだ。武士道精神を尊び忠義を尽くすことで自らが死んだ場合でもその子供については、そのような立派な親が育てた息子ということで高く評価されて奉公できる場合すらあった。また、武士道とはいっても、実際は戦国時代までは裏切りや寝返りは頻繁で、本当に厳格さを増したのは幕藩体制が確立した江戸時代である。つまり、武士道精神に従うということは、それ自体が時代にそって生きる上で役に立つ方法でもあったのだ。もちろん、支配する側にとってもその方が便利だったことは言うまでもない。

ということで、これはこれでひとつの思想として参考にはなるけれども、やはり時代が違うということも理解した上で読む必要がある。また、世界に優れた思想はこれだけというわけでもない。よって、武士道が日本の思想の中心であった時代とは異なる時代背景で生きている私たちの価値観は、現代を支配する様々な自由と制約の中で、私たち一人ひとりが探して構築してゆかなければならない。日本の文化にこれだけ大きな影響を与えていたとは、全く知らなかった。様々な人の言葉を引き合いに出しながら解説されていて今までの読書の網に引っかからなかったのが悔やまれる。日本人として是非一度読んで頂きたい一冊。時代の違いを感じるところはあるにせよ、日本人の民族性をかなり適切に分析した本であり、この「日本人らしさ」というアイデンティティ的なものが失われつつある現代にこそ必要な本であると思う。
ただ、忠義の点などは時代の違いからなのか、私が個人的には受け入れられないところもあるので、その分、星を控えた。著者・新渡戸稲造氏曰く、 
「武士道は、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない、 
日本の土壌に固有の華である。(中略） 
それは今なお、私たちの心の中にあって、 
力と美を兼ね備えた生きた象徴である。」 

桜花は、 
今もなお、日本の美しい春の象徴として浸透しているけど、 
日本人の独特の根底になっているはずの武士道は 
日本の土壌に根付いているのだろうか？ 

マスコミによって（作られている）姿や情報は、不安にさせる。 

まずは、自分自身の姿勢を正すことからはじめいた。 
自分じぶん・・・ではなく、品格を育みたい。 

五常の徳：「仁・義・礼・智・信」 
仁：思いやり 
義：正義の心 
礼：礼儀・礼節 
智：叡智・苦痛 
信：信用・信頼 

八つの徳：：「仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌」
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/04/4003310233.html">
<title>学問のすすめ (岩波文庫)</title>
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<description> 名著です、一度読んでおきたいと思っていた本です。
 江戸から明治の激変期に書かれたこの本は、現在にも
十分通用する内容であり、学問だけでなくさまざまな人生訓
ともなっています。読書の目的：
 小林...</description>
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<![CDATA[
 名著です、一度読んでおきたいと思っていた本です。
 江戸から明治の激変期に書かれたこの本は、現在にも
十分通用する内容であり、学問だけでなくさまざまな人生訓
ともなっています。読書の目的：
 小林秀雄著「考えるヒント」などにたびたび出てくる"福沢諭吉"。至近で、日本円の札面を一新したときも、変わらず肖像であり続けた"福沢諭吉"、その実像に迫りたかった。

読後感、感想：
 檄文。震えました。しかし、まだ消化し切れていない。

 意訳された文章ではなく、原文で読んでほしい言です。文章の意味だけではなく、語感、語調、行間を含め、文章全体から発せられるメッセージを、体全体で感じてほしい。

 自分が日本人であると、改めて体感したことがある人は、是非、読んでみてください。逆に、自分が日本人であると、改めて体感したことがない方は、あまり、ピンとこないかもしれません。（感覚的なコメントですみませんが...）今から100年以上も前に、これだけ幅広い見識を持っていた日本人はそういなかったでしょう。文句なしに読む価値のある本です。最近、就活で経営者の話を聞く機会が度々ありますが、福沢諭吉の影響を受けている方が多いように思います。 福沢諭吉が生きていた頃は明治維新のまっただ中で、欧米に追いつこうとするために身分に関係なく学問を重視してこの国を強くしようとした時代です。福沢諭吉の父が漢学者で学があったにもかかわらず重用されなかったことのコンプレックスの反映が見られます。明治維新のおかげで地方は江戸時代よりも貧しくなりました。また学問を一生懸命しても、生まれつきの能力には差がります。身分による差は無くなっても、富による差が大きくなり、欧米ですでに起こっていた階級闘争にまだ福沢諭吉は気づかなかったようですし、立派な人とは学問ができる人ではないです。国のために命を賭けろといっているところを見ると国民よりも国家を重視しているのが見えます。（蜂や蟻の世界のように）
 また強い者だけが残り弱い者を切り捨てていくことで、国家が発展すればいいと考えるなら良い著書です。一万円札になったのも政府の考えに合っているからでしょう。
個人主義の鼓吹や、基本的人権の尊重、法の下の平等、公共の福祉に反しない限りでの個人の自由の尊重など、当時まだ大日本帝国憲法が発布されるかされないかという時期において、既に日本国憲法の精神を先取りしてしまっている福沢諭吉の知性と教養には感嘆せざるを得ません。また、文体も簡潔明瞭、平明達意。一般人には到底理解することのできない多くの啓蒙書が発行されていた当時において、庶民への配慮に最大限心がけ、彼らを巻き込みながら日本の近代化を果たそうとする彼のスタンスにも素直に好感を覚えました。現代人の我々にとっても学ぶべきもの多き名著だと思います。
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/05/4877951008.html">
<title>世界に誇る日本の道徳力―心に響く二宮尊徳90の名言</title>
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<description>  二宮金次郎を見直して、金次郎に学ぼう！尊徳に学ぼう！
 今こそ、世界に誇れる日本の民主主義の祖である尊徳の実践哲学、
 その残された名言をあらためて見つめ味わおう！

 キーワードは報徳、心田開...</description>
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<![CDATA[
  二宮金次郎を見直して、金次郎に学ぼう！尊徳に学ぼう！
 今こそ、世界に誇れる日本の民主主義の祖である尊徳の実践哲学、
 その残された名言をあらためて見つめ味わおう！

 キーワードは報徳、心田開発、至誠、分度、推譲、勤労、積小為大、
 一円融合。

 これらのキーワードの意味を知るだけでも実践哲学が身につくのではないか？

  結論はこれだと思う。
  ：天地自然の経文から学べ！
   不書の経、すなわち「もの言わずして四時めぐり、百物なる」ところ
   の経文に引き当ててみて、まちがいのないものを採り、まちがってい
   るものは採らない。 

 尊徳さんを、真に知り、その偉大さは本物で、素晴らしいと解った。 
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/06/4003021215.html">
<title>折たく柴の記 (岩波文庫)</title>
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/07/4003332326.html">
<title>新編 東洋的な見方 (岩波文庫)</title>
<link>http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/07/4003332326.html</link>
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<description>ワイド版は良いです。同じ内容でも字が大きくなり余白が大きくなっただけで、わかりやすくなったような気がします。鈴木大拙のこの本を読むと根本的なものに触れたような気がします。学生時代、鈴木大拙に初めて触...</description>
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ワイド版は良いです。同じ内容でも字が大きくなり余白が大きくなっただけで、わかりやすくなったような気がします。鈴木大拙のこの本を読むと根本的なものに触れたような気がします。学生時代、鈴木大拙に初めて触れてから、すでに20年以上たつが、未だにすべてを理解することができない。ただ、彼の思考に触れるたびに、仮に同じ書物を読み返す場合であっても、自分の思考が確実に深まることを実感できる。経営の現場にいて、特に米国生まれの概念や手法に触れるたびに覚える違和感の源泉を解明する鍵がここにある。彼の書籍との付き合いは、一生続くと思う。日本人として誇るべき偉大なる先達の労作である。 日本よりも海外でその名を知られる、禅のスポークスマンのような感のある、鈴木大拙による小論集。控えめではあるが、その批評の切っ先は鋭く的確で、人の本性を暴き、禅との関わりの中で、世界、日本、人間存在、日本人について論評している。 ときに、禅を過大に評価し、日本人を卑下するような言葉も見受けられるが、太平洋戦争を現実体験した人間に許される特権として、許容される程度のものであるから、著者の批評を損なうものでは全く無い。東洋的思想と鈴木大拙が呼ぶ所のものが、エッセーで綴られている。なんとなく普段感じている東洋的なものの実体が解かるだけではなく、西洋文化における東洋的な要素も折にふれて述べられており、著者の深い洞察力と単なる哲学的思索を超えた論の展開がじつに面白く、現代社会にいきる日本人ならばぜひ読んでおきたい書と感じました。
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<title>善の研究 (岩波文庫)</title>
<link>http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/08/4003312414.html</link>
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<description> 端的に私が『善の研究』の西田に感じる問題点を列挙する。

１．宇宙をこの宇宙に限っていること
２．実在概念に物理学が相対化しきれていないこと
３．動物と人間との関係を軽視していること
４．人格の不...</description>
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 端的に私が『善の研究』の西田に感じる問題点を列挙する。

１．宇宙をこの宇宙に限っていること
２．実在概念に物理学が相対化しきれていないこと
３．動物と人間との関係を軽視していること
４．人格の不完全性が解明されていないこと
５．対となるべき悪の研究が為されていないこと
６．意識に直接作用する存在は何であるかが言明されていないこと
７．歴史的宗教への言及が不十分であること

 量子力学もハッブルの法則も西田の生きた前世紀前半には既に既定の事実として理論化されていたから、宇宙をこの銀河系、太陽系、地球の属するこの宇宙に限っていることは、他方で物理的実在に言及する以上、ちょっと理解が浅すぎるのではないか、と思われる。
 全編に貫かれる意識主義によって、西田哲学の主眼は人間の意識主義に限定され、ともすれば動物蔑視の文言が散見されもし、人間が動物から進化したものである歴史を踏まえていない上で、また、現世を動植物と共有している世界を飛び越して、即宇宙と人間が繋がるという論理にもどこかに飛躍した欠陥があるだろう。
 それもこれも、出版社の要請に応じた講義録の寄せ集めによって成った本書の性格からすれば仕様がないことなのかもしれない。難しいといわれる第一編の「純粋経験」は、なんとしても読破すべき。尤も、分析的に考えると、叙述形式から却って難解に思えるが、流れる文体にそってその通り読み進めれば、相応に納得する。学説的な知識からいくと、ジェイムズとヘーゲルのアイデアのまま、ようなところで、オリジナリティは、高くないが、自身のものとして自身の言葉で展開しているところが最大の魅力。二篇の「実在」は余り面白みがなく、第三篇「善」が、本書のテーマで中枢となる。自己の実現、自己の望みを達成して調和を得るところに、最高善をみるところは、人間の欲望を肯定的に捉えたヘーゲルの倫理学と同じだ。実世界の人間的な欲望を無闇に抑制するような道徳論は批判の対象となっている。また、個の実現が、それが本物なら、社会（国家）全体に寄与するというところへ展開するところも、いかにも「近代」思想で、ヘーゲルの「法哲学」を思わせる。が、ヘーゲルにおいて赤裸々に暴かれ対決された「疎外」の問題、近代社会の貧困や、自己実現を目指すが故に直面する自己の没落、という「近代社会のパラドックス」は、全く視野の外に置かれている。その代わり、自己実現の挫折へは言及があり、そこから宗教的な解決に進む件は、ヘーゲルの「精神現象学」を匂わせるし、一層、「個」への執着を示す。でも、ヘーゲルにあった差し迫った他者との対決も、格闘する意識も、ここにはない。近代的二元論の超克がテーマでありながら、その問題が、実社会でどのように表出しているか、それを捉えての対決はない。それでも、思考の徹底性、包括性、文章、どれをとっても第一級品だと思う。でも、同時代の漱石や鴎外、少し後の志賀直哉や昭和初期の小説家たちは、表現は異なっても、｢近代」の問題をもっと真正面から捉えていたように思える。そういう意味では、日本では哲学者はこの点に関する感度は今ひとつの感が否めないと思う。 明治44年発行の書物である。西暦では1911年にあたる。この年はキューリー夫人がノーベル賞をとっている。 普通選挙法がようやく施行され、幸徳秋水が刑死した年でもある。1905年までさかのぼると、アルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表している一方で、夏目漱石が、処女作「吾輩は猫である」の連載を開始している。現代を支える物理や文学の萌芽の時代である。
  よく読みこなせば疑いもなく、ほぼ1960年代頃に流行ったニューエイジ系オカルトに親近性があり、かつその先を行っている。ベルグソンやハイデッカーに通じる「意識の哲学」である。これは潜在無意識にある高位自我、「ハイヤーセルフ」などの超越的自己について言及し、禅を通じて「他人の意識」を「自己の意識」として感じ取り、「人のよくせざるところ人に施すことなかれ」という「善性」の根幹を、直接経験として感じる行為的直観の作用をベースにして、そこから倫理への影響を前面に出しているものなのである。「絶対矛盾的自己同一」とはつまるところ、「他人」と「自己」は意識を別にして、かつ別々に思考する独立無二の絶対に同一ではない単体同士であるが、潜在意識は繋がっていて「自己同一」する場合が「禅」において見られた経験（彼の体験）を述べたものである。
 西洋哲学一般が「仮説」を設定して考究する演繹的思考が随所に見られるのに比べて、日本人的思考の癖で、仮説設定はとらず帰納法的で結論見えにくくなっているので遠まわしに見える。
 意識の世界から「善」を考える哲学というよりも、普遍無意識の世界から「善」を考える哲学としてはユングに近く、そうした覚醒的な経験の結果を言語として取り出し、定義しようとするところでジェームスに近い。そして宇宙を語るところでは、やはり東洋であり根幹は仏教なのである。純粋経験とは、物事への偏見なき接近への道であり、頭で考えられた概念ではなく、知覚そのものの世界である。真に知覚された世界とは仮初の世界ではなく、世界そのものである。経験できる世界よりほかには、世界などありはしない。まことに世界を知覚できれば、自ずからそれを言葉にすることもできるはずである。なぜなら、言葉とは世界そのものだからである。

 「場所」や「論理と生命」のような後の輝かしい論文と比べると、どうしても見劣りはする。だが、日本の哲学の出発点となった記念碑的著作であることにはかわりがない。確かに稚拙だが、この処女作にはその後の西田哲学が含まれているのも確かである。と同時に、この作品だけでは西田幾多郎は哲学史の中に刻まれることもなかっただろう。その程度のレベルとはいえ、哲学の考え方に慣れていないと読みにくいのも確か。残念ながら、平気でデカルト批判とかしているミーハーな読者は近づかないほうがよい。とはいえ、真摯な読者でもなかなか入り込めるものではない。できれば、京都学派の他の著作とか、同時代の生の哲学（Ｗ.ジェイムスやベルクソン）とか、いろいろと読んでおくとよいのかもしれない。ちなみにこの著作の他で、読むのをおすすめできる論文は「論理と生命」である。比較的に用語の使い方が怪しくなく、素直に生命と環境の相互作用論として読めるところがよい。とはいえ、「善の研究」が西田幾多郎の哲学書の中では文章が読みやすいほうなのも事実である。西田幾多郎の代表作『善の研究』。一般的には、西田哲学は、その言い回しといい、独特の概念といい、難解な世界だといわれていた。中には「ただ抽象論をもてあそぶにすぎない」とまで酷評する声も聞くが、果たしてそうであろうか？難解な熟語（概念）の中身には触れないが、この本は、人は何故生まれ、何故生きるのか、否、生きていかねばならないのか、それを深く深く掘り下げた世界であると思う。１８歳の頃はとても読めなかったこの本。５４歳の今、なぜか西田の言わんとすることが、おぼろげながらわかるのは何故だろう。そこで一つだけ、西田の言葉を紹介しておこう。西田の『神』は次ぎのようなものである。西田の『神』は、毎日毎日刻々と生きる日常生活に中にこそ実在するのである。西田は具体的な生身の人間を哲学的体系的に捉えていると思う。『神は実在統一の根本という如き冷静なる哲学上の存在であって、我々の暖き情の活動となんら関係もないように感ぜられるるかも知らぬが、その実は決してそうではない。さきにいったように、我々の欲望は大いなる統一を求むより起こるので、この統一が達せられた時が喜悦である。いわゆる個人の自愛というのも畢竟此の如き統一的要求にすぎないのである。しかるに元来無限なる我々の精神は決して個人的自己の統一を以て満足するののではない。更に進んで一層大いなる統一を求めねばならぬ。我々の大いなる自己は他人と自己とを包含したものであるから、他人に同情を表わし他人と自己との一致統一を求むようになる。我々の他愛とはかくの如くして起こってくる超個人的の要求である。故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一層大なる平安と喜悦とを感ずるのである。而して宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本である。我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限の喜悦、平安である』
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/09/4003314611.html">
<title>「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)</title>
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<description>「粋」とはいったい何であるか、というのを、ロジカルに究明しています。 その内容がどんなものなのか、というより、物事の考察の進め方において、非常に勉強になる本だと思いました。


１．まず本質を抜き取...</description>
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「粋」とはいったい何であるか、というのを、ロジカルに究明しています。 その内容がどんなものなのか、というより、物事の考察の進め方において、非常に勉強になる本だと思いました。


１．まず本質を抜き取る

「粋だねえ」、というときに思い浮かぶのは、たとえばお祭りでの威勢のいい声だったり、凛とした正座姿だったり、地味な表地に派手な裏地だったりといろいろとがあります。 しかし、こういう現象を見つめるだけでは、一向に「いき」の意味にたどり着くことができません。 特に、「いき」のように、非常に広い範囲で使われ続けている言葉に対しては。


物事の意味を考えるときには、個別具体的な事象から、まず本質を抜き取る必要があります。
その本質の抜き取り方として著者が行っているのは、以下の２点です。
１）まず、ベースとなる概念をもってくる（宝石で言うと原石を持ってくる）
２）その概念を、他の視点をフィルターにして狭める。（宝石を削って宝石にする）

著者は、１）において、「いき」のベースとなるのはセックスアピール（媚態）とし、２）次いで、「意気地」と「諦め（運命に対してきっぱりとした姿）」によってフィルターをかけて、「いき」という言葉の意味を汲み取っています。 

フィルターは、当然ながら、ベースとなる概念に関連したものでないといけません。著者が「意気地」と「諦め」をフィルターとして用いた理由は、セックスアピールというのは、不確実な運命の下でこそ存在しうるものだからです（たとえばすでに男女関係ががっちり固まっていて動かす余地がないのなら、セックスアピールの存在はあまりない）。 不確実性を耐え抜くために意気地が必要だし、時には運命に対して諦め（Let it be的な心境）る心構えも必要になるでしょう。


２．座標軸に配置する

そして、次に、他の概念との位置関係を把握します。
渋み・野暮、意地・甘味、上品・下品、地味・派手を座標軸として、著者は「いき」の外延的構造をより明確にしようとします。 

この座標軸を設定するにおいても、当然ながら、「いき」そのものへの理解が必要です。 そうやって、「いき」に関連する概念たちとの比較により、概念の意味はより明確化されていくことでしょう。



３．現場を見る

そして、ここまでした後に、初めて、「いき」にあふれている現場について考えを巡らせるわけです。 すると、服装や声の出し方、美術など、すべての日本的なものに含められている「いき」という概念が、雑多な寄せ集めとしてでなく、一つの正しいロジックにしたがったものなのであることに気づくことになります。


知的作業をするときの教科書みたいな考え方の本でした。本書を斜め読みして、「男はつらいよ｣の寅さんを連想した。
マドンナにすぐ恋をして、江戸っ子のかっこよさにこだわり、すぐに恋をあきらめてしまう。媚態と意気と諦めの「いき｣そのものといっていいかも。茶色の背広（縦縞ではないが)と青色のダボシャツも「いき｣な色だ。
日本人の心に「いき｣への憧れは根付いていることにあらためて気づいた。

「いき」のキーワードは「媚態」「意気地」「諦め」の３つ。 
異性に対しての「媚態」を基調とし、
武士道の理想主義の表れである「意気地」、
仏教の非現実性としての「諦め」を内包したものが、
「いき」という概念であり、日本人特有の意識現象である。 
著者の「いき」に対する考察力に気迫すら感じたこの本。
「いき」の要素を六面体にして表したところなど、
発想の仕方がすごい！ 
ここまで踏み込んでものごとを考えられる著者の勇敢さ、
鋭さに驚いた。ぜひ参考にしたい。 
 
面白いです。最初のページを読み出した瞬間から九鬼氏の言葉が驚くほどするすると脳に入っていく、こういう快感を最後に味わったのはいつだろうか？うーんちょっと興味は有るけど、なんかむずかしそー。と思ってるそこの貴方。これは本当に名作です。是非、是非、読んでください。 最近、ホームページで『「いき」の構造』を『菊と刀』の視点から分析した人が居ます。それを読んでハッとしたのですが、『「いき」の構造』の最大の特色は方法論にあるのです。多くの研究者は「いき」という言葉にこだわってその言葉が現われる場面に注目しますが、九鬼はその言葉が生まれてくる社会の集合的無意識に注目したのです。これは、今でも社会系の学者にさえあまり知られていない方法ですが、すでに七十数年前にこういう方法を駆使して日本独特の概念を分析した人があったとは、驚くべきことでもあり、同胞として誇りを感じることでもあります。
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<title>学問のすゝめ―人は、学び続けなければならない</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:42:07+09:00</dc:date>
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<description>原文は当時としては簡単な読みやすい方に属する書物らしいのだが、現代人にはちょっと敷居が高い。したがって、現代語訳は大助かりである。これなら、すごく読みやすい。考えてみれば当然だが、慶応出身の教授によ...</description>
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原文は当時としては簡単な読みやすい方に属する書物らしいのだが、現代人にはちょっと敷居が高い。したがって、現代語訳は大助かりである。これなら、すごく読みやすい。考えてみれば当然だが、慶応出身の教授による現代語訳である。

しかし、けっこう強烈な内容の本だ。明治維新を駆け抜けた俊才の迫力が伝わってくる。はっきりいって、「ドラゴン桜」の桜木より凄い。超アグレッシブで、硬派で、快活で、そしてシンプルに、時代を超えて読者の向上心とハングリー精神をあおっている。すっかりものわかりがよくなった今の大人たちにはなかなか見られないエネルギーが伝わってくる。

骨子はシンプルだ。人間は元々皆同じように何も知らずに生まれてくるのであって、その後にちゃんと勉強するかどうかで差がつくのだ、だから勉強しなさい。そして、どうせ勉強するなら、和歌とかよりも、物理や経済や工学などの役に立つ学問、「実学」の勉強に力を注ぎなさい、という。何より、なぜ勉強しなければいけないかを、幅広い視点から、素人にもわかりやすく説いている。そう、この「なぜ勉強しなければいけないのか」について、広い視野で、説得力ある言葉で語れる人が、現代の教育の現場には少ないのだ。

一見すっかり豊かになってしまった現代の日本。しかし、相変わらずこの国には資源もなければ、国土も狭く、食料自給率は４０％そこそこで、国の借金は膨らむばかり、そこへ元気な中国など昨日まで貧しかった国々の激しい追い上げが加わり、さらに少子高齢化が追い打ちをかけている。一方、明治時代の日本は、実は石炭と食糧くらいはちゃんと自給できていたし、教育に多額の国費を投じていて、若い人がたくさんいた。実は、今の日本人はより強い危機感を持っていてもおかしくはないような状況にあるだ。

本書を読むと、昔の気骨ある日本人の活力の一旦に触れて気持ちが引き締まる思いがする。なぜ学ぶのか、なぜ学ばなければならないのか。この普遍のテーマに時代を越えて直球勝負で語りかけてくる。お勧めである。 生まれたからには必ず読まなければいけない書物として藤原正彦さんの著書にあったので、「そうだよなぁ。これ読んでないと恥ずかしいよなぁ。」と５０を越えた今になって読みました。岩波の明治古文版を購入しましたが、無理でした。意味が判らんとでしたわ（＾＾；。恥を忍んで改めて本書の現代語版を購入、内容を云々語っても己の無知を開示するだけのことですが、「天は人の上に〜」の意味が今になって始めて判りました。人間平等が主旨ではなかったんですねぇ、誤解してました。それが判っただけでも有り難かったです。恥を掻かずに死ねるというもんですわ。我が家の躾の大方針は、
 
 いつも笑顔でいられる人間になる
 
ってことです。
ぼくも妻も率先して笑っています。
 
笑うためには心に余裕がないといけません。
心に余裕を生むためには努力も欠かせません。
経済的にも精神的にも肉体的にも健康、健全じゃないと笑顔は生まれないと思っています。
逆に、常に笑顔を心がけていれば、経済的にも精神的にも肉体的にも健康、健全になっていくんだと思います。
 
100年以上前に福沢諭吉先生もこう言っています。
 
＃＃＃
顔色や容貌を、いきいきと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。
なぜなら人の顔色は、家の門口のようなものだからである。
広く人と交際して、自由につき合うには、門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。
ところが、本心は人と交際を深めたいのに、顔色に意を用いず、ことさら渋い顔つきを示すのは、入り口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。
これではだれが近づくか。(檜谷昭彦訳『学問のすすめ』三笠書房?1300-、204p)
＃＃＃

人生山あり谷あり、晴れたり曇ったりです。
多少の嫌なこと大変なことはあるのが当然だし、嫌なこと大変なことを克服するから人間も磨かれる。
笑顔でいれば、多くの人が集まってきて協力もしてくれることでしょう。
困難を笑顔で乗り越えられるような、わが子達にはそんな人に育っていってほしいと願っています。旧い封建制度が終わり、我々は政府と同等の立場に立た
なくてはならない。そのためには学問が必要である。 

明治初期に書かれたとは思えないほど、福沢諭吉は民主
主義を深く理解している。政府を正しく管理するために
は民衆が学を身に付けなければならないという主張は、
民主主義における普遍的な原理だろう。 

国家のための学問をすすめる福沢の姿勢は、今日の価値
基準と必ずしも一致しない。現在では国家のために尽く
すというより、自分の人生の充実や、国家を超えた人類、
世界のためにという価値観も尊重されるからである。ま
た、私学・実学・洋学重視の態度も、学問の形態が広く
変わった今では、当てはまらない点が多い。 

しかし、福沢が放つメッセージの重要性は今日でも変わ
らない。人は物質的にも精神的にも独立しなくてはなら
ない。身分制度がなくなった今、自らの独立を助けるの
は、学問である、と。ご存知、明治に発刊され当時としては爆発的に読まれた名著です。
私自身、時間があれば読んでみたいという程度の認識でした。
古文に対する苦手意識で敷居が高かったのですが、現代語訳版の本書を見つけ
手に取った瞬間、その内容に惹きつけられました。
「天は人の上に・・」で有名な福沢諭吉ですが
「人に貴賤はないが、勉強したがしないかの差は大きい」
と、平等であるべきものとそうでないものとの違いを明確に説明されています。
闇雲に平等を主張していた理想化だと思い描いていた諭吉像が一気に崩壊しました。
非常に洞察力の深い、現実的な人だったのだと反省しきりです。。
本書はまた知識を与えるというスタンスではなく、読者に考えさせることを主眼においている
点にも非常な聡明さを感じとれます。
諭吉の魂が時を越えて迫ってくるものをビンビン感じとることができます。
時代を問わず読み継がれている理由が十分に納得できる良書です。
???明治の初版以来、多くの人々に読まれ続けてきたロングセラー『学問のすゝめ』。本書はその現代語訳版である。 ?「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名な一文に始まり、「『人の上に立つ人』の責任とはなにか」「法律の貴さを論じる」「人望は人間の大きさ・仕事の大きさに比例する」など、政治や法律の問題から個々人の意識に至るまで、あらゆる面に言及している。 ???本書がこれほどまでに長く人々に読まれ続けている理由は、その内容の普遍性にある。ここで述べられている内容の多くは、現在でもその輝きを失わず、読む者の胸に迫ってくるものである。たとえば十五編の「もし西洋と日本が逆だったら」の部分は、国際化時代に生きる現代の我々にも示唆を与えてくれるし、十四編の「人生の『損益』計算のしかた」は、いま生きているすべての人々が共通して意識すべき内容であると言える。 ???本書は現代語訳であるため、文語特有の趣を味わうには物足りない部分もある。だが、文語で読むのがおっくうでこれまで読まずにいた、という人にとっては、この貴重な書に触れる絶好のチャンスであると言えるだろう。文語体の趣を味わいたいという人には、岩波文庫の『学問のすゝめ』をおすすめしたい。（土井英司）
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/11/4003300211.html">
<title>五輪書 (岩波文庫)</title>
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<description> 学生時代に剣道の経験があるのと、『バガボンド』で興味をひかれたので購入。剣法の正道として心技体の一致を説いた名著です。 
 心技体の一致は剣道を始める際に最初に教わる基本であり、極意でもあります。...</description>
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 学生時代に剣道の経験があるのと、『バガボンド』で興味をひかれたので購入。剣法の正道として心技体の一致を説いた名著です。 
 心技体の一致は剣道を始める際に最初に教わる基本であり、極意でもあります。器に入れた水のごとく柔軟に機を知り、先をとる。いかなる相手、場面にも対応できるよう常日頃から技を磨く。攻めるときはもちろんのこと、構え、動かないときも心技体の一致をもってする。剣道に限らず、えてしてこれが難しい。 
 渡辺氏による丁寧な校正、傾注にも感謝。旧漢字、旧仮名遣いが少なく、かつひらがなが多く手直しされており、かなり読みやすくなっています。 大きな ワイド版である。
 活字も大きく、注釈もわかりやすい。

 なぜ「五輪書」と名付けられたのかがわかる。
 実に、詳細に、武蔵は、兵法に関して書き残したことか。
 声をだして、読むと リズム感があり、気持ちいい。
 もっと早く読むべきであったと悔しい思い。
 具体的であり、武蔵の思考過程がよくわかる。
 最後の「解説」は、格調高く、具体的である。
 晩年の武蔵は 「がん」であったらしいと述べられている。現代語でありませんので，
まだ五輪書の内容を知らず，きちんと理解したいと思うなら，
わかりやすく解説された本を先に読んでおいた方が良いです。
しかし解説者の思想などが混入していないシンプルなものを
読んでみたい場合は手頃なのでは。
ちなみに字が大きいです。
これを読んだからといって、強くなれるわけではありませんが、この本を読み、その意味するところを心に刻み込み、日々の鍛錬を積めば、万の道において大成すること間違いなしです。 
難しいことは何も書いてありません。剣術のノウハウも、レビューにある構えについて以外は概略程度しか書かれていません。殆どが、戦いの際、「勝つ」ための心構えについて書かれています。 
一見簡単なようで、いざやってみると中々難しい。剣の道を、例えば議論に置き換えてみましょう。そのとき、相手の有利なポイントを潰しながら、常に平常心で戦うことが出来る人はどれだけいるでしょうか。 
「道」の基本をしっかり抑え、その上で応用も利かせて戦える人はどれだけ居るでしょうか。 
武蔵のファンでなくても、心の修養を目指し、大志を抱く人物であれば、是非手にとっほしい一冊です。これは単に人を斬る事に関する宮本武蔵直伝の剣術の奥義書ではなく、人生観、死生観、死を賭した時の勝負勘や心構えなどを示唆する人生訓でもある???剣道の歴史において異色とされる宮本武蔵の二天一流は、次のような考えから生まれている。「太刀はひろき所にてふり、脇差はせばき所にてふる事、先ず道の本意也。此一流におゐて、長きにても勝ち、短きにても勝つ」。つまり宮本武蔵の革新は、勝つという1点をただ合理的につきつめたところにあることがわかる。 ???宮本武蔵が二天一流の奥義を記した本書は、勝つことにおいて何が理にかなうものであり、何がかなわないのかを説いている。構成は地水火風空の5巻からなり、「地之巻」では兵法や二天一流の概略を、「水之巻」では太刀筋や剣術の極意を、「火之巻」では実戦に勝つための要諦を、「風之巻」では他流派との比較を論じ、最後の「空之巻」では二天一流の到達した境地をまとめている。 ???圧巻は「目の玉うごかずして、両わきを見る事肝要也」などの、切り合う瞬間の動作を細かく記したところ。実戦の緊迫したシーンがここに浮かび上がってくる。また、「構はありて構はなきという利也」と言いきっているのもおもしろいところ。構えや太刀をどう振るかにとらわれず、ただ敵を切る心をもて、それが「理」だ、とするのだ。ここに宮本武蔵の真髄が見えてくる。 ???本書がビジネス書として読まれているのは、極限で平常心を保ち、相手を観察し、心理戦を制し、環境を利用し、先手を取る、といった奥義から多くのアイデアをくみ取ることができるからだ。（棚上 勉）
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/12/4837919529.html">
<title>佐藤一斎「人の上に立つ人」の勉強―45分で読める『言志四録』+『重職心得箇条』</title>
<link>http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/12/4837919529.html</link>
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<description>明治維新期のバイブルであった佐藤一斎の言志四録、そして重職心得箇条

「４５分で”人生を変える贈り物”が手に入る！」という触れ込みだけあって実にコンパクトにまとめられた良書であるように感じた

本書...</description>
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<![CDATA[
明治維新期のバイブルであった佐藤一斎の言志四録、そして重職心得箇条

「４５分で”人生を変える贈り物”が手に入る！」という触れ込みだけあって実にコンパクトにまとめられた良書であるように感じた

本書にて私が特に感じ入ったのは、「重職心得箇条」第三条の”断固守るべきものは守り、変えるべきものは変えよ”ということ

これはいわゆる”不易と流行”を区別することであり、非常に深い示唆を孕んでいると思う
というのは、現在は様々な意味で変革期を迎えているとはいえ、これらの峻別をせずに変えてはならないものまで安易に変えてしまっている傾向にあるように感じるからである
またその一方で変えるべきをいつまでも変えないということもいえる

本書ではこの他にも「人の上に立つ人」にとってまさしく金科玉条といって良い格言が紹介されている

現在各所で指導的立場に立っている方、またこれから将来的に指導者を志している方（おそらく全ての人に当てはまると思うが・・・）に是非一読していただきたいものである
もちろん耳の痛い言葉も少なくなかろうが・・・
薄い本なので、いつも持ち歩いてます。携帯用「言志四録」として重宝しています。この本の他にも、講談社の愛蔵版、心の名言集、PHP版を所有しています。出かける時の荷物の量に応じて選んでいます。自己啓発に何か読みたいなあ…と思っている方！これ、お勧めですよ。私にとってこの本は、墓の中にも持って行きたい1冊です。まさに、「死して朽ちず」を目指してます。この本を読んだ後に、福沢諭吉「学問のすすめ」を読みましたが、言志四録のほうが心に響くものがありました。内容は、納得のできるものばかりです。「面は冷ならんことを欲し、背は煖ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す」こうなりたい思います。何度も読み返したくなる本の一冊です。佐久間象山、勝海舟に匹敵する人材を育成しなければならない。あと４０年で世界の構図が変わるだろう。その時に、わが国の国益を守れる思想家を育てることが、今の日本にとって急務である。佐藤一斎の思想は、現代でも通用する。本書は大変読みやすい。テーマ毎に再配置して、ノウハウ書にまとめてある。原文を併記してあるのもよい。江戸時代後期の儒学者、佐藤一斎の名著「言志四録」、「重職心得箇条」のエッセンスを現代語訳し、まとめたもの。これら2冊は200年後の今なお、指導者たちにより読み継がれているもので、指導者としての心構えやいましめをまとめたものである。200年も読み継がれているだけのことはある。言葉は簡単でも内容は深い。一番気に入ったのは*春風をもって人に接し、秋霜をもって自ら粛む＊だった。このように生きて生きたいものである。*人に接するときは、暖かい春の心 仕事をするときは、燃える夏の心 考えるときは、澄んだ秋の心 自分に向かうときは、厳しい冬のこころ*???江戸時代の藩士たちに多大な影響を与えた佐藤一斎の2大名著『言志四録』と『重職心得箇条』のエッセンスを現代語訳し、まとめたもの。これら2冊は200年後の今なお、指導者たちにより読み継がれているもので、指導者としての心構えやいましめをまとめたものである。 ???心構えとしては、「『欲』を塞いで心身を養う」、「自分自身を『恃める人』になれ」、「断固、守るべきものは守り、変えるべきものは変えよ」、いましめとしては「人の短所を見て優越感をもっていないか」、「自分の好みで部下を使うな」、「『忙しい』のは恥と知れ」などが掲載されている。 ???ある程度の社会人経験を積んだ人なら、本書に掲載されている言葉の重みがよくわかるだろう。何度もくり返し読むことで、日常の仕事に生かしたい。（土井英司）
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<title>善の研究 ＆lt;全注釈＆gt; (講談社学術文庫)</title>
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第１篇「純粋経験」、２篇「実在」、３篇「善」、４篇「宗教」の構成。著者自身は、初めて読む人は、１篇は後回しにせよ、と言っているが、内容のユニークさから行けば、断然１篇で、これを読まずして、本書は何の意味もないといっても過言ではない。今になると、形は整っていても、「実在」や、諸学説を「アカデミックに」検討した「善」の篇は、私には、面白みは乏しかった。尤も、今の時代に、本書を読んで、斬新さ、新鮮さを得ようとするのは、なかなか、読み手の問題意識次第で、難しいと思う。本書全体のモティーフになる「純粋経験」も、ジェイムズの「pure experience」にほぼ同じで、これに、ヘーゲルの「意識の経験」「弁証法」を合わせると、いや、或いはショーペンハウアーの「表象」を考えると、西田のオリジナリティなるものは、著しく減少する。さらに言えば、ベルクソンの「持続」の影響や、徹底して「意識」から出発する構えは現象学で、この時代の西欧哲学の流行の中にすっぽり覆われてしまう。にも拘らず、独自の文体で語り展開する本書は、とても魅力的で、繰り返し読むことを飽きさせることはない。まさに、日本人が「近代」において語った最初の哲学だと思う。或る人が、西田の哲学は、「悲しみの哲学だ」と言ったことがあり、この哲学の通奏低音を、西田の「悲しみ」の感情にみているのを聞いて、自分はとても共感したことがある。体系的であることや、抽象性から普遍性を展開するなど、独創的な哲学の要素はあるにしても、尚惹き付けて止まない、その力は、実は西田の剥き出しの「感情」が、この哲学的な言説に乗って展開されているからではないか。知識のモザイクではなく、詩や小説のように、何かを「詠っている」ためだろう。そう意味で、廣松渉を含めても、なお初めての「哲学者」だったと思う。最初は、岩波版で通読し、メッセージを感じたら、解説のある本で読むのが良いかもしれない。純粋経験を唯一の実体とし、他の諸概念は、そこからの派生で、相対的な差異しかないとする西田哲学は、その文体と相俟って、案外に、分析的には捉えにくい。丁寧で懇切な解説は、大いに役立つと思う。さて、西田の主著である「善の研究」は既に岩波文庫から出版されていて、版を重ねています。講談社は学術文庫として西田研究として有名な小阪国継氏の全注釈付きの物を発刊しました。オリジナルの文体は仮名遣いを現代風に変更されています。本文に次いで注釈および解説がされているので、今まで途中で挫折していた人にも読めるように配慮がなされています。分量は岩波の３倍以上の厚さになりますが、語句、人名などの注釈、説明がなされているので非常に読みやすく、確認作業を行いながら読み進めることが出来ます。これで難解とは言えなかったけど、読むのに苦労した「善の研究」が読めると思います。
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<title>日本的霊性 (岩波文庫)</title>
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<description> 親鸞が鎌倉時代に「発見」したものは大地であると、鈴木大拙氏は言う。それは平安時代における天上性の対置である。大地性と天上性が交わるところに地平の中心なき中心を有する「無限大円環性」（P１３３）のパ...</description>
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 親鸞が鎌倉時代に「発見」したものは大地であると、鈴木大拙氏は言う。それは平安時代における天上性の対置である。大地性と天上性が交わるところに地平の中心なき中心を有する「無限大円環性」（P１３３）のパラドクスがある。「個己」と「超個己」の矛盾的自己同一（あらゆるところに中心があって中心はない）がある。こうしたパラドクスが宿す大地と天上の、いわば連続性と断絶性の無分別知こそが日本的霊性の骨格かなと、評者は見る。禅が地平に特化した意識化であるとすれば浄土思想は大地に特化した意識化なのかもしれない（もっと大拙氏の思想に踏み込んでみないとわからないし、たまたま読んだ井筒俊彦氏の『意識と本質』の禅についての言及で「地平」についてのインスピレーションをちらっと評者は得たのだが）。そして親鸞こそが、あるいは親鸞と法然によってこの円環構造あるいは大地のパラドクスを個己へ内面化することに成功したのではないか？ 鎌倉時代という厭世的時代背景、個己の死の自覚、大地での具体的生の営み、そして法然と親鸞の出現を待って渡来の仏教がはじめて日本的霊性へと高まることができたのではないか？ 「彼（親鸞）の念仏は実念仏であった。即ち大地に接触した念仏であった。」（P９４） 否定性のベクトルと肯定性のベクトルが同時に逆向きに働いているため、肯定が即否定になり、また否定が即肯定になって、それが「あるがまま」のものになって再び還ってくる。そうした根源的霊性というものがあるのだと大拙氏は言う。
 しかし念仏は必ずしも知性的なものではない。「妙好人（みょうこうじん）」のように知性の回路を経ずに，天然無垢のままに阿弥陀仏を直覚した、赤尾の道宗の行状や浅原才市という市井人の素朴な歌に大拙氏はありったけの賛辞を送る。彼ら妙好人たちは日本的霊性の具現者なのだ。こう言ってよければ霊性とは天と地を繋ぐ人間存在の根本的逆説の洞察にほかならない。
本書の存在は前から知っていたが、「霊性」という言葉になぜか拒否感があり、敬遠していた。図書館で手に取り、大地性という概念が重要な意味をなしているようなので借りて読みだした。読みだしてすぐ、これは手元に持っているべき本と気づいた。
今はやりのスピリチュアルとは全く関係ありません。宗教、宗派を超えて訴えてくる、共感できる何かがある。日本文化、日本人、日本を語る上でも必読の書と言えるだろう。
かつての私のように、「霊性」という言葉で本書を敬遠しているひとは是非読んでみてください。まずは、万葉の世界を「幼稚」、平安の世界を「繊弱」と、言いたい放題。表現はやや過激ながらその指摘はなかなか正鵠を得ており、そこは小気味よくさえある。

もっとも評者は個人的には、大地性から離れた繊弱な世界と言われるものこそに、日本人的な情緒を感じるのだが、そんなことを言うと、大和男児として情けない、などと一喝されそうである。（なにしろ戦時中に書かれた本なのだ。）

そして、主題は鎌倉仏教なのだが、ここでとりあげられるのは禅というより、もっぱら念仏である。

瞑想によって悟りを得るというオーソドックスな方法論からすれば、ただ念仏によって救われるというのは、一見、まったく仏教的ではないようにさえ思われる。しかし、そこに敢えて「不合理ゆえに我信ず」というキリスト教神学の概念を持ち出してくるあたりが、なかなか鋭い。「日本的なものは何か」と問われたとき、これにすぐに答えられる者はどれほどいるだろうか。少なくとも、本書を読む前までの評者はこの問いに沈黙するほかなかったと言わざるを得ない。著者は本書において「日本的霊性」というものを読者に提示し、日本人にこの日本的霊性に自覚的になることを促す。著者によれば、日本的霊性が最も顕現するのは浄土系思想と禅であるという。両者は外来のもののように見えるが、これらは日本的霊性による能動的な受容により日本に定着したというのだ。大拙はこう述べている。「明き心、清き心というものが、意識の表面に動かないでその最も深き処に沈潜していって、そこで無意識に無分別に莫妄想に動くとき、日本的霊性が認識せられるのである。」これに共鳴したのが禅と浄土系思想だったのだ。本書の魅力は、上のことを丁寧に説得的に読者に説くことだけにあるのではない。「宗教は上天からくるともいえるが、その実質性は大地に在る。霊性は、大地を根として生きている。萌え出る芽は天を指すが、根は深く深く大地に食い込んでいる」「単にこの身の気持が良いだけでは、天日の有難さは普遍性をもち得ぬ。大地と共にその恵みを受ける時に、天日はこの身、この一個の人間の外に出て、その愛の平等性を肯定する。・・・ここに宗教がある、霊性の生活がある」と、宗教の本質を大地性にあることを明らかにした箇所で評者は目から鱗を落とされた。宗教とは何かを考えるときにも本書は極めて有益であろう。仏教用語が、特に後半においてたくさん出てくるために、読み進めるのはいささか骨が折れるが、本書はそれだけの苦労をする価値がある。篠田英雄氏の解説も大変わかりやすかった。「現代仏教学の頂点をなす著作」という紹介は全く誇張ではあるまい。『霊性』というと、なにか神秘的で、オカルトの世界と思いがちだろうが、本書はそういう類の本ではない。僕のイメージでいうと、『霊性』とは、ありのままの大地で、ありのままに生きる人々（特に農民）の心底に沁みこんだ『大地の息吹』ではないかと思う。この『大地の息吹』が、鎌倉時代に初めて土着・展開したというのが、この本の眼目のようだ。ところが、この『大地の息吹』なるもの、なかなか捉えることが難しく、しかし、なんらかの自己表現が必要だったようである。奈良時代・平安時代に日本で展開していた『仏教』を、『大地の息吹』の『惰性的な』表現が、法然・親鸞の浄土思想であり、その担い手は、農民であった。一方、その『大地の息吹』の『知的な』表現が、禅であり、その担い手は、大地に根をはった武士であったということらしい。また、鈴木大拙は、これに『日本的』と修飾語をつけているが、偏狭なる民族主義を主張する類の本でもない。この本は、昭和１９年に書かれ、出版されており、太平洋戦争の敗戦色濃厚なころ、敗戦直前に書かれており、敢えて『日本的』と表現した鈴木大拙には、日本を国際的な孤立に追い込んでいった、偏狭な民族主義に対する抗議の姿勢が伺えられると思う。この著作は、日本人とはなんなのか？経済的な発展の裏で失った大事なもの、それを取り戻す鍵をなる本として、現代的な意義があると僕は思うが・・・。
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<title>後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:42:07+09:00</dc:date>
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<description>●後世への最大遺物 

内村鑑三先生が、若者向けに 「何を後世に残すか？ 金？事業？思想？」 を講演した講演録。 
途中、恩師のクラーク先生（「少年を大志をいだけ」の）のくだりが出てきておもしろい。...</description>
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●後世への最大遺物 

内村鑑三先生が、若者向けに 「何を後世に残すか？ 金？事業？思想？」 を講演した講演録。 
途中、恩師のクラーク先生（「少年を大志をいだけ」の）のくだりが出てきておもしろい。 

ーーーーーーーーーーーーーー 
クラーク先生を第一等の植物学者だと思っておりました。 
＜中略＞ 
ある学者が、クラークが植物学について口を利くなどとは不思議だと笑っておりました。 
＜中略＞ 
とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。 
どういう力かといいうと、すなわち植物学を青年の頭につぎ込んで植物学という学問のInterrestを起こす力を持った人でありました。 
ーーーーーーーーーーーーーー 

●デンマルク国の話 
狭い国土をドイツとの戦争に敗れて、３割方失ってしまったデンマルク国、残されたものは荒れ果てた北海道の半分くらいの土地だけ、その国が何によって、世界に胸を張れる大国になったか？ 

一人の敗軍の兵士ダルガスが、 
「外に失いしものを内において取りかえさん。我らの世代あの荒野をバラの花のさく豊かな土地にするのだ。」と叫び、祖国復活の掛けに出たのです。 
哲学者の天野貞祐が学生に勧める書として、内村鑑三｢後世への最大遺
物｣・アリストテレス｢ニコマコス倫理学｣・ヒルティ｢幸福論｣を挙げてい
る。

後世への最大遺物―勇ましい高尚なる生涯

難しいことではありません。各人が信じるように、よく生きるということ
です。本書は、それがなぜ最大遺物なのか、やさしく語れています。

倫理が疎かにされている時代です。なんでもありになっている社会です。
それを、次の世代のためにも変えていけるのは、私たち一人ひとりの生き
方ではないでしょうか？

人生をよく考えて見たい方にお勧めします。そして、本書の次に、｢ニコ
マコス倫理学｣を読むことをお勧めします。 どうやって生きていけばいいのだろう、何のために頑張ればいいのだろう、そういった疑問を優しい言葉で説いてくれる。金、事業、教育それらを残すのも遺物。しかし万人に行える「最大遺物」、それこそが我々のこれからの希望になることだろう。生まれてきたからには、なんらかの足跡をこの世に残したい。
そんな風に考える人には必読の書でしょう。

誰もが後世に遺すことのできる「最大遺物」とは何か？
内村鑑三は、金でもなく、事業でもなく、思想でもなく、
「勇ましい高尚なる生涯」であると説く。それはまた、
「己の一生涯をめいめい持っておった主義のために送る」
ことであるという。

しかしその言葉は、私たちを強く勇気づけると同時に、
より一層悩ましい問いへといざないもする。

いったい如何なる「主義」を持てばよいのであろうか。

それこそが最大の問題である。

 この本には、２つの講演が収められています。
 １つは「後世への最大遺物」。
 もう１つは「デンマルク国の話」。

 私は、この本のタイトルを見て、「この本は『デンマルク国が後世への最大遺産だ』ということを述べた本」だと勝手に思いこんでいましたが、上に書いたように、別個のものです。

 「後世への…」は、自分はこの世に何を残せるか、カネか、事業か、文学か、いやいや誰にでもできること、それは「高尚なる人生」とう歩み方だ、そのことを、内村鑑三らしい話の進め方（Aはどうか？ まあそれもいいけど、こういう理由でAはやっぱりダメ、ではBはどうか、同様にBもダメ、結局C、という進め方）で語っていきます。

 大体にして、「この世に何を残せるか」、この観点で生きるということ自体に、大きなインパクトがあると思いませんか？

 「高尚なる人生」、こう書くと、なんか偉人伝に出てきそうな人のように歩めよな、という話っぽく聞こえますが、そういうことではなく、日々淡々と、きちんと背筋正して歩んでゆく、その積み重ねが、結果的に「その人」の「高尚なる人生」で、それは誰に対しても無害有益、こういうことを諄々と説いてゆきます。その説き方がなかなかの「芸」なので、面白く読めます。

 「デンマルク国」。
 知らなかったのですが、デンマークは大国にこてんぱんにやられて肥えた領地を奪われ、荒れた土地しか残らず国民全員茫然自失、その時ひとりの元工兵現れ、荒れ地に木を植え、しかしうまくゆかず、手を変え品を変え、様々な試行錯誤を繰り返し、木は生長し青草生え、遂に緑地化に成功、農耕と牧畜盛んなる豊かな国へと変えられていった、そのような話です。
 この語りぶりが、また内村鑑三の「芸」で、とても面白く読めます。

 そして、この２つの講演を一冊の本に。
 実は一本の線によって、両者がしっかりと束ねていたのでした。
 デンマルク国の元工兵は、実に「高尚なる人生」を歩んでいたのです。
 つまり、「後世への…」が理論編、「デンマルク国」がその一実話編という訳で、非常に出来の良い本にまとまりました。

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<title>風土―人間学的考察 (岩波文庫)</title>
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<description>「人間存在の構造契機としての風土性」を明らかにするために書かれた由。だが、冒頭で「自然環境がいかに人間生活を規定するか」は問題ではない、と述べておきながら、結局は自然環境(風土)--&gt;文化--...</description>
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「人間存在の構造契機としての風土性」を明らかにするために書かれた由。だが、冒頭で「自然環境がいかに人間生活を規定するか」は問題ではない、と述べておきながら、結局は自然環境(風土)--&gt;文化--&gt;社会制度と言う風に論理展開されるので自己撞着している。また、書かれた時期が昭和初期、即ち日中戦争の最中である点にも注意すべきである。

風土の類型を、「モンスーン(インド〜東アジア)」、「砂漠(中東〜北アフリカ)」、「牧場(ヨーロッパ)」と分けるのは如何にも単純過ぎる。"受容・忍従"型で多様性を持つ筈のインドが現在、対パキスタン用に核開発に狂奔している姿を著者は何と説明するつもりか。同じく、「モンスーン」に属する中国が中世において、"合理的"なヨーロッパより遥かに技術的に進んでいた事実は何と説明するのか。著者が海外旅行をして、偶々得た知見(思い付き)を強引に哲学的思索の枠に嵌めようとするから無理が生じるのである。「人間はその土地の気候に合った様々な生活様式・文化を持っている」と書けば、それで終りの話である。それに、「南洋的人間が文化的発展を示さなかった」等と公の本で書いて許されるのだろうか ? 哲学の本場ヨーロッパを"貴"としてようだが、それで世界初の森林の大伐採を行なった西欧人の「風土」に関する価値判断が正当に出来るのだろうか ?

そして、中国の「無政府性」を強調する辺りから論旨は増々怪しくなる。更に日本の「家」制度の忠孝性とその家を統括する意味での尊皇を語っている点は、時代に阿っているとの批判は免れまい。「風土」に根ざした各地域の歴史の紹介も目新しいものは無く、そもそも「人間存在の構造契機としての風土性」を分析して、何の役に立つのか不明だった(日中戦争の正当性の論拠以外)。内容も熟考した上の論理的考察と言うよりは、直観に頼った部分が多く、時代の雰囲気に流されて気紛れで書いたとしか思えない作品。 和辻は「寒さ」の現象を考察してこのようにいう。
「我々は寒さを感ずる前寒気というごときものの独立の有をいかにして知るのであろうか。それは不可能である。我々は寒さを感ずることにおいて寒気を見いだすのである。しかもその寒気が外にあって我々に迫り来ると考えるのは、志向的関係についての誤解にほかならない。」
 「寒さ」を感じることにおいて「寒気」を見いだすという。これは逆に言うこともできる。「寒気」を見いだすことにおいて、「寒さ」を感じる、と。このことは、天気予報を考えれば、このことも事実であることに気づく。それは、寒気がわれわれに接近することを告げる。この場合は、寒気というものが独立に存在しているのである。したがって、志向関係はどうでもよいことになる。わざわざ志向関係を述べる必要はない。
モンスーン、沙漠、牧場と3種類の風土を湿度の点からまとめ上げている。その論理、切り口は鋭く、舌を巻く。完全に湿度を絶対的な基準として風土を規定しているのだ。その後でモンスーン的風土について詳しく語り、そこから更に、東西の芸術について風土の点から説明を展開する。
章の始めにまずそこで焦点となる単語の説明をする、間違った意味で解釈したまま読み進めると大変な誤解を招くためであろう。文章は割と読みやすく、また、同じ内容を言葉を惜しまず懇切丁寧に説明する姿は真摯に思う。
敢えて口を挟ませていただくとすると、第5章「風土学の歴史的考察」蛇足かなと思う。それから、もう少し自国の歴史について堪能でいて欲しかった。
一五年戦争期に成った著作であるから、ここに書かれていることをそのまま現代に当てはめることはできない（現代なら「都市」の考察は必須だろう…和辻が都市論を書いらどうなるかと想像するのは楽しい）。また、巻末の解説で井上光貞が綺麗にまとめているような批判も数多い。

にもかかわらず、やはり今でも読み返す価値のある名著であると評者は思う。何よりも、「風土と人間」という二項対立ではなく、「風土とは人間であり、人間とは風土である」とも言うべき和辻の人間観がそこに展開されている点は、人間をめぐる考察が絶えず回帰してくるポイントを貫いている。

天才的感覚・詩人的直感に基づいて綴られていると思しき記述の片言隻句を捉えてオタク的に揚げ足取りをしたり、学問的手続き論やイデオロギー批判によって斬って捨てたりすることはおそらくたやすい。しかしそれで終わってしまっては読み方としてはあまりに薄っぺらいのではないだろうか。養老孟司氏の『無思想の発見』で引用があったので、手に取った。
和辻氏の高名は聞いていたが、敷居が高くて読むのは初めてだ。

一言で感想を言えば、これほどに妖しい光を放つ書物にあたったことがない。
名著とも良書とも違う。誤解を恐れずに言えば「麻薬」のような、そんな魔力をもった書物である。

和辻氏の主張を端的にいってしまえば、気候こそが、そこに住む人たちの行動や思想を理解するカギである、ということである。そのタイプは３つ。

・モンスーン ・・・アジア
・砂漠 ・・・アラブ
・牧場 ・・・西欧

これだけ見ると変な血液型占いみたいだが、実に考察がツボにはまっていてわかりよい。昭和初年の原稿で、どうかすると100年近くまえのものだが、なんというか、100年どころか2000年前から続く民族性を見事に指摘している、という気がした。

まず、読んでちゃんとわかる。ここが、他のえらい評論家たちとちがう。戦争中の発言で批判も多いと聞くが、それはそれ、これはこれ。日本人の国民性を考えるに必須の古典といってよい。素人でもよくわかります。

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<title>佐藤一斎「重職心得箇条」を読む</title>
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<description>手に取った時には薄くて頼りなげ。他の解説書の方が座右の書籍になりそうな気がします。
しかしながら、安岡先生の明快な解説を読み進めると元気が出て来ると共に、今の自分の行動を顧みて襟を正す気にもなります...</description>
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手に取った時には薄くて頼りなげ。他の解説書の方が座右の書籍になりそうな気がします。
しかしながら、安岡先生の明快な解説を読み進めると元気が出て来ると共に、今の自分の行動を顧みて襟を正す気にもなります。
後ろに原文も付いているので素読するのにも役立つかも。
良い本だと思います。

安岡正篤先生による佐藤一斎の『重職心得箇条』の講義本です。 
昭和54年に住友生命の支社長に対して行われた講義の筆録だそうです。 
『重職心得箇条』は佐藤一斎が藩の重職達の為に書いた十七か条の心得で 
講談社学術文庫版『言志四録（二）』にも収録されていますが、
こちらには現代語訳はついていません。 
私は古文が苦手なので、安岡先生の全文口語対訳の付いたこの本はありがたいです。 

佐藤一斎は本当に多くの幕末の志士達に影響を与えた陽明学者で、 
この本でも逸話として、 
吉田松陰などの師としても有名な佐久間象山と財政再建で高名な山田方谷が 
佐藤一斎の塾の寄宿舎で毎晩議論をしていた逸話なども出てきます。 

さて、この重職が心得るべき事としての十七箇条を読むと 
あらためて佐藤一斎の素晴らしさが分かります。 

例えば八条では、 
重職たるものは「勤向繁多＝仕事が多い、忙しい」などと言うのは恥ずべき事で、 
部下に権限委譲し自分は心に余裕がなければ大事に手抜かりが出る。 
また、十四条では政事というのは何事も自然に現れたままで行くのを実政といい 
役人が仕組むような事は虚政である。通常の仕事は簡易にして手数を省くことが肝要だ。 
と述べています。 
非常に実質的合理的です。 

十二条、大臣たるもの胸中に定見を持ちそれを貫き通すのは当然の事だが、 
公平に人の意見に耳を傾け、心を虚しくして、正しければ一転変化できなければならない。 
また、二条では、部下を用いるのに私心を捨てて公平に 
「平生嫌いな人を能く用いると言う事こそ手際なり」と説き、 
自分に気の合う部下ばかりを取り立てるのは 
（料理に喩えると）「水へ水をさす類にて」 調理にならない、と 
懐の広さや無私、公明正大さが重要であると説かれています。 

この本はとても読みやすく、ポケットに入る厚さですので 
是非、皆さん（これから将来、重職に付く若い方も）、読んで見て下さい。  幾つかの安岡本で、ときおり紹介されてきた『重職心得箇条』を一冊にまとめた本である。
 本書を、上に立つ者の必読書と限定的に考えたら価値が半減する。現場の最先端・底辺で働く者が、どの職場を選択して働くべきかの判断を養うための書と考えて、初めて価値が満開する。まさに学問は用い方次第である。
 「深沈厚重」・「磊落（らいらく）豪雄」・「聡明弁才」の順に人物が優れているという。心がけるべき教えである。「重職心得箇条」に書かれていることは、言われてみればどれも至極当たり前のことだけれども、いつの間にかその当たり前の道から少し外れてしまっている自分を発見しそうな、そういう危うさを私は自分に感じるから、この本を座右において時々自己確認が必要だろうと思う。安岡氏の解説も平易でわかりやすく、且つ重みがあって、佐藤一斎の教えに深みを加えている。佐藤一斎「重職心得箇条」はあまりにも常識的な内容である。この常識を知らずに重職につく人がいるとは思われない。ただあまりに能力主義・実績主義に偏った組織の場合には本書にあるような戒めを常識的にわきまえない輩が重職になる可能性はあるであろう。思い出すべし、「功には賞を以って、徳には職を以って」という常識を。???小泉首相が田中眞紀子外相にすすめた話題の書。江戸時代の藩士たちに多大な影響を与えた佐藤一斎の「重職心得箇条」に現代語訳を付し、人物学の権威として知られる安岡正篤が解説を施している。 ?「重職心得箇条」の文字どおり、重職の心得を全17条、旧仮名遣いで掲載、解説を付けている。文語と口語の対訳は巻末にまとめて掲載しているので、もともとの「重職心得箇条」の趣を味わいたい人は巻末を参照するとよいだろう。本書で紹介されている全17条のタイトルは、以下のとおり。 「人物」の条件 大臣の心得 時世につれて動かすべきを動かす 「きまり」にこだわらない 機に応ずるということ 「公平」を保つ 知識・見識・胆識 「世話敷と云わぬが能きなり」 形賞与奪の権 何を先に成し、何を後に成すか 包容の心 私心・私欲があってはならない 抑揚の勢 手数を省く事肝要 風儀は上より起る 機事は密なるべけれども…… 「人君の初政は、年に春のある如きものなり」 ???いずれもシンプルだが、重職に携わる人間に求められる資質や心構えを見事に表している。何度も繰り返し読むことによって、解釈も深まってくることだろう。人の上に立とうとする志のある人は、重宝すること間違いなしである。（土井英司）
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/18/4569636438.html">
<title>学問のすすめ―自分の道を自分で切りひらくために</title>
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<description>堅苦しい内容だろうとイメージしていましたが、
福沢諭吉自身が、合理主義だということもあって、
その内容は、空論などではなく、
実利的な内容です。
論語や孟子などの理想主義が腑に落ちない人にも
おすす...</description>
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<![CDATA[
堅苦しい内容だろうとイメージしていましたが、
福沢諭吉自身が、合理主義だということもあって、
その内容は、空論などではなく、
実利的な内容です。
論語や孟子などの理想主義が腑に落ちない人にも
おすすめかもしれません。

本の内容にもありますが、
 『学問といっても、実際に現実の生活に役に立つ学問が必要』であって、
まさしく、この「学問のすすめ」も、現実の生活に役に立つ本であるといえます。

偉人とされる人の本だけあって、すばらしい内容です。
いまだになお、読まれて続けているのが納得です。

この本は民主主義の基礎を学ぶ為に、分かり易く書いた本ですので
中高生でも十分に理解出来る内容となっています

特に若い人に読んで欲しいのは独立自尊について
一身独立して一国独立はまさにその通り
学問のすすめを現代語訳した本。学問のすすめというタイトル自体は教科書で誰もが知っているとは思う。しかし内容を本当に読んだことがある人は一体何人いるのだろう。現代語版ならば理解もしやすいので、日本人みんなにおすすめします。ご存知、福澤諭吉の名著の現代語版。

福澤の思想の中でも核にあたる物がほとんど盛り込まれているので「福澤諭吉＝学問のすすめ」となるのも納得できる。しかも予想以上に読み易い。

しかし、書いてある内容その物は感覚的に理解出来ていたり、既に聞いた事のある物ばかりであったので、私の場合、「そんな事改めて説明されても...」と思ってしまったのが率直な感想です。

内容その物ではなく、現代社会で常識となっている概念、皆で共有されている意識。これを初めて指摘した事に意義があるのだと思います。あの有名な「学問のすすめ」の現代語訳版。冒頭の「天は人の上に〜」の文句は誰もが知っているが実際この本を全て読んだという人はそれほど多くないのではないでしょうか。一般大衆向なので「文明論之概略」などに比べて解りやすく書かれている。驚くべきことは明治時代の作でありながら現代にもそのまま通じる内容を持っていることでしょう。現在では発展途上国などでも愛読されているのもうなずける。日本人のみならず世界の全ての人に読んでもらいたい名著である。
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<item rdf:about="http://25bookshop.bestbook-shop.com/detail/19/4140910720.html">
<title>集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)</title>
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<description>本の構成については、商品の説明がしっかりしているので、そちらを参考にして頂き
たいが、80年代思想の前史（日本思想史）を語る中で80年代思想を位置付けていく叙述
に４割、80年代思想そものを語る中で...</description>
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本の構成については、商品の説明がしっかりしているので、そちらを参考にして頂き
たいが、80年代思想の前史（日本思想史）を語る中で80年代思想を位置付けていく叙述
に４割、80年代思想そものを語る中で位置付けていく叙述が４割、80年代思想の後史
が１割といったところで、後史が物足りない感がある。
ただ、後史の叙述自体、それまでの叙述に対し面白みに欠けるので、確かに膨らます
必要はなかったかもしれない。

文体は易しく分かりやすいので、入門者であってもかなり読めそうであり、著者の実力
が伺える。
80年代思想をかじった人であれば、もうすらすらと楽しく読めるお薦めの一冊だと思う。

さて、現代の状況について「強大になった保守」といった叙述があるが、これに対して
はちょっと異論がある。
アメリカ的に、共和党支持者のような政府の権限を軍事以外は小さくし市場競争を激化
させるのをよしとするのを右、民主党支持者のようなセーフティネットや福祉政策を重
視し、市場に任せる部分を減らすのをよしとするのを左と考えると、特に右が強大にな
っている感じはしない。
ここで定義した右も左も保守だとすると確かに強大になっているのだが、それはマルク
ス主義が無効になったため、その昔前衛党を支持してた者が保守の左を支持する様にな
っただけで、昔の状況とあまり変わった感じはしないのだ。 本書の意図は多くの方がレビューでおっしゃっている通り、80年代頃を一つの焦点として戦後日本の論壇における思想の流れを論じる事である。しかし、本書は第二章を中心に、フランスを中心にしたいわゆるポスト構造主義に関する非常によい入門書ともいえそうだ。
 私はここまでポスト構造主義の思想が入門者にとってわかりやすく説明された本を見たことがない。もちろん、それを専門とされている方にとっては、「肝心な部分が抜け落ちている部分が抜け落ちている」と指摘するのは容易であろう。しかし第二章を読むことで少なくとも、ポスト構造主義とはおおまかにはどのような思想なのか？、そしてそれはいかにして生まれてきたのか？ということは必ずつかめると思う。


 もっとも、私は最初に述べた本書の中心的意図に関する記述も高く評価している。
 第一章に関して述べれば、マルクス主義と吉本隆明・廣末渉らの思想を対置して後者のある種のポストモダン的「先見性」を示したのは非常に興味深く思えた。
 第三章では浅田彰らのいわゆるニュー・アカについてわかりやすく論じられている。浅田彰らについては今日ではかなり矮小化され、偏った形で批判されているように思うが、筆者はある程度キョリを置き冷静に評価しているように感じられる。
 第四章では、今日の論壇の状況について簡潔に述べられている。同時に今日において現代思想が果たすべき役割はまだまだ大きいことが述べられている。

 本書を通して日本の現代思想および世界的なポスト構造主義の概観が必ずやつかめるであろう。思想や哲学に興味がある方にはオススメの一冊です。
本上まもる氏の著書といい、この時期に日本の思想を再考する著書が連続して出版される意義をまずもって評価したい。過去の総括は未来への第一歩である。本書はその一歩に耐えるだけの内容であり、ネクストポストモダンを見すえる機会となるだろう。 仲正氏の最近の著作量産ぶりには圧倒されるばかりであるが、一部内容重複や時流に阿った受け狙いと見られるのは、志実現の為の資金調達として、善しとすべきなのか、、、、。
 本書のような初心者向け思想関係ガイドブックの類は、仲正氏の良さが最大限に発揮された名著と言えよう。戦後日本の思想界を席巻したマルクス主義からポストモダンまで常に一歩引いた立場から、非常に割り切った立場で交通整理していて実に読みやすい。勿論、実際にその思想にコミットしていた人々からすれば、「おいおい、こんなに単純なもんじゃないぜ〜」という嘆きが聞こえて来んばかりである。
 ただ『an・an』や『non-no』、『JJ』などの創刊に言及しながら『エピステーメー』や『遊』、『論座』などに全く触れないのは意図的なのか、単に忘れていただけなのか、不自然ではないだろうか？
 読んでいて、昔読んだビートたけし著『みんなゴミだった』を思い出した。語り口の雰囲気が共通しているようだ。現代思想なんてガラクタです。孫引き的に理論だけ知ってればいいんでない？
ゲンチョなんて読んでられねーって人向け。しかしニーチェやローティーもそうだけど哲学的になるところをあえて素朴に生きる生を肯定してるわけでしょ。なのにこの手の本を読んで輩ってますます哲学的になっちゃう。矛盾してるって。書を捨て山へ出よう？じゃないけど現代思想は僕にとってはガラクタです、現代思想を学んでも頭なんか良くなりません、っていい加減悟ればればいいのにとか思うけど。どうなんでしょ。
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<title>本居宣長〈上〉 (新潮文庫)</title>
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はっきり言って、おもしろくない。人の感じ方は千差万別だから決め付けるつもりはないが、これが小林秀雄の最高傑作だ、というのは、内容とは別の思い入れがあるとしか思われない。たしかに、比較的最初のところで、宣長に到る江戸思想史のようなものが語られ、そこはなかなか読み応えがある。そのうえ、「科学」として「生活」からどこか遊離していくような近代の諸科学とは違って、個々の個性と生活に結びついていくような「学問」のあり方が、示唆的であり、確かに「何か」に触れるような予感が与えられる。が、基本的には冒頭の折口信夫との勿体つけた書き出しとか、信念・思い入れが先行しまくっている全体の論調は頂けない。「モオツアルト」や過去の諸作品の中の良くない部分が総括されたような悪さだ。なによりも「退屈」なのだ。どんどん引き込んでいくような牽引力は、話の面白さか、でなければ、悪戦苦闘してでも発露しようという強固な「思想」への意志がなければ、まず無理である。「考えるヒント」のなかの徂徠らの小編はむしろ見事で、あのように語る古学との邂逅を、本書に待したが駄目だった。著者はたまに鴎外の史伝に言及することがあったが、もしかすると、「近代」以前の「思索」の独創性を回復したいという点で鴎外に通じるものがあったのかもしれない。それが実っていないとなると残念に思うが、読者の無闇で勝手な期待でしかないことは分かっている。付け加えるとしたら、この作品が、氏の最高傑作と思う。皆さんどう思われますか 難しい本ですが、１日10ページ程度のペースで徐々に読み進めていきました。「倦まず、怠らず」という宣長の言葉に従い、宣長と小林にすがり付いて、時に立ち止まり、前に返りながら読みました。それがこの名作の読み方だと思ったからです。 読むほどに、宣長が好きになっていきました。前向きな力をもらえます。宣長は「源氏物語」＝紫式部に自らを重ね、小林は宣長に自らを重ねながら、それぞれの思想を深めていきます。その確かな足取りが感じられます。 他人がなんと言おうと、自分がこうだと思うことを素直に信じる熱い人。宣長の「源氏」を評する態度が、作者を信じ、深く愛する心に基づいていることを知り、小林は深く共鳴しています。それこそ、小林が「様々なる意匠」を書いた若い頃に獲得し、生涯変わらなかった批評の態度であり、宣長という力強い理解者を得た小林秀雄の静かで深い喜びが聞こえてくるようです。 小林秀雄の講演のカセットテープが新潮社から出ています。「本居宣長」を理解する上で役立つだけでなく、こちらも大変、面白い講演です。あわせて聞くのをお薦めします。本著は小林秀雄氏の作品ということで難しいのではないかと感じてしまい遠慮してしまう方が多いのではないでしょうか。しかしながら、本著は広く歴史に興味がある方なら楽しく夢中で読むことができると思います。また、言葉一つ一つに深いものがあり、文学という観点からも今さら言うまでもなく大変すぐれた大作であります。普段小林秀雄氏の作品を読まれない歴史好きに是非お薦めしたい１冊です。本居の原典を読む前に、小林さんのこの本を読みました。終始一貫して滋味ぶかい読み応えで、刺々しさが全くありませんし、小林さんの情熱や優しさが伝わってきます。最初の100ページくらいまでは、淡々とした序奏と言った感じで、徐々に本論に入っていくのですが、絶えず宣長と小林さんの呼吸が合っており、「読者を驚かせてやろう」「奇抜なことを言ってやろう」などと言う、卑しい考えは毛頭ありません。自らの思いをストレートに伝える宣長さんと小林さんがこの本の中で出会っているような気がします。
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